肥えた羊の製造過程

現実逃避が趣味の社会人の、ライブや映画や舞台の備忘録

言葉は世界を汚し、そして死後も生き続ける。

 
と、いう様なニュアンスの事を、今日見てきた舞台に
ゲストで来ていた劇作家さんが言っておられました。
…メモとってないから、まぁニュアンスで。
 
=2012/05/27=
鴎座フリンジ企画 cleansed project03 
『洗い清められ』 @渋谷 space EDGE
 
まずビックリしたのが公演場所。
「半野外みたいな」と聞いていたのですが、や、これ、半野外っていうか、ガレージ…?
入るとコンクリートの床の一部に土が敷かれていました。
これが、今回のメインステージ。
コンテンポラリーダンスによる身体的表現を中心に、演者が指先まで全てに力を渡らせて動くと
そのステージの一角は舞い、崩れ、滲みます。
もちろん表現はこの土のステージには留まらず、周囲のスペースも利用しているんですが
舞台の各所で色んな事が起こっては沈み、止まり、躍動していました。
ふと気が付くと、下手の奥にいた老人がゆっくりと舞台を動いていつの間にか上手の奥に。
眼前を通過していたはずなのに認識されていなかったという…怖かった…。びっくりした…。
出演者の男4人、女4人、登場したら一切はけずの1幕の舞台。
単語が空中を飛び、体躯が絡み、文章が口元から流れ出て、
正直まったく咀嚼できないんだけれども、「理解」という枠は必要ないのかなとも思います。
 
この戯曲を書いた作家サラ・ケインは鬱病で自らの手によって命の幕を引いたそうです。
彼女のことは今回初めて知りました。
たとえば、世界から聞こえる喧騒があんな風に体に流れこんできて
内側から湧く切実な欲求は、その世界と合うようには出ていかず、
自分の頭の中で、うゎんうゎんと混ざり合いながら暴れていたのだろうか、という云う事を
観劇が終わってほんの少し考えました。
 
詩的で、肉欲に塗れていて、そしてとても痛みのある舞台でした。